p.o.v

Speak Gibberish out loud!!

You don't even know me

どうやら

自分を守ろうとして排他的になる癖があるみたい

 

「あなたにはわからない」と

思おうとしている

 

ずっと残るものがどういうものなのか

あなたにはわからないだろう

 

あの部屋に適した家具がどんなものか

あなたにはわからないだろう

 

アートが

あなたにはわからないだろう

 

私の気持ちは

あなたにはわからないだろう

 

なんていう風に

「あなたにはわからないだろう」

と排他的になる

 

私はずっとわかりたいと思っていた

どうしてこの人はいい色合いを選べるんだろう

どうしてこの人はいつも正解を出すんだろう

どうしてこの人は可能性を感じさせるんだろう

どうしてこの人は良いものがわかるんだろう

どうしてこの人は頭がいいんだろう

どうしてこの人は才能があるんだろう

どうしてこの人は世界の法則をよく知っているのだろう

どうしてこの人は自分とまっすぐにつながっているんだろう

どうしてこの人は私にないユニークな考えを持っているのだろう

 

どうして私にはそれがないんだろう

どうして どうして どうして

 

そして私はその人たちを真似した

仲間になりたくて 仲間になりたくて 仲間になりたくて

同じレベルで会話したくて 認めてほしくて

仕方なかった

 

彼らに愛されたくて

私はずっと嘘をついた

我慢したり

楽しんでいるふりをしたり

理解しているふりをしたり

全部受け入れたり

 

知っている

彼らは一緒にいるとき

私を愛してくれた

 

でも知っている

その関係性には条件がついているのだ

血がつながっているから

お金を払っているから

雇用主側の会社の人だから

お金を持った日本人だから

クラスで最初に友達になったから

といったふうに

 

そして、いなくなってしまうのだ

たいがい

国が変わったり引越したり関係性が変わったりすると

その関係は切れてしまう

 

最終的に

私は彼らと出会えたことは誇りに思うけれど

私自信のことを誇りには思えない

 

私は彼らとすごした日々は愛するけれど

私自信のことを愛せない

 

私は結局のところ一人になる

 

「あなたにはきっとわからないだろう」と思う理由

それは

あなたにわかられたら困るからだ

 

私はずっとわからないと思ってきた

わからないと思う分

その深さや大切さは身に染みてきた

わかることができない悔しさはもっと 身に染みてきた

 

それを簡単にわかられては困るからだ

 

そして

私はわかる可能性がある人間なんだと

枯れがれにつぶやいているんだと思う

 

この憧れは

手放したほうがいいのだろうか

I'm on the borderline

明日の朝の出発は見送ると言って

その朝、リビングのソファで眠っていた

あの時のあなたにもう会うことはない

 

その人がいなくなった日

その人の席の椅子を引いてその人をもういちにち存在させた

あの時の私にもう会うことはない

 

ここには

そのことを思い出している

私がいるだけ

 

そこには

そのことを思い出している

あなたはいますか

 

また会いたいなと思っている

私がいるだけ

 

ーーーーーーーーー

私には、信頼した人、信頼している人が存在する

それはとても喜ばしいことだ

 

信頼の中身にも色々ある

技術を信頼する

精神を信頼する

自分(わたし)への関わり方を信頼する

 

でも、頭で信頼するっていう経験はない

きっかけは感覚

表皮の感じや嗅覚できめる

「この人は信頼してください」といって

 

嘘をついている人だって信頼はできるのだから

嘘をついているかどうかは問題ではない

 

大切なものを失った人は弱くて優しかったり

でも頼りなかったり筋が通っていたり

守るべきものがある人は周りに厳しかったり

でも守るという感覚を知っていたり

だから守るべきものの有無は重要ではない

 

その人のバックグラウンドやその人の状態は重要ではない

その人をみているのだ

その人を

 

その人の何をみているのだろうか

精神だろうか

 

技術や人への接し方は精神についてくるんだと思う

精神は変わるんだと思う

 

だからその瞬間の精神を肌や嗅覚で感じるのだと思う

察知する肌は腕のあたりだったり、指と指の間だったりする

 

私は高めたいと思う

失敗したら、何度でも自戒をこめたいと思う

 

一本、一本、線を引くように

はじめから、終わりまで、見守るように

その一つに集中するのがとても大切だ

 

ところで

assalamu alaikum

この言葉が大好きである

The apple caught my eye

余韻が残っている

水の中を泳いでいるみたいだった

自由で、周りに何もない

音楽だけが水流のように、私を取り囲んでいた

 

安心していた

声と私が同じ方向を向いていた

私はあなたを知っていて

あなたは私を知っている

そう思った

 

ーーーーーー

 

根拠のない自信と、根拠のある自信

という話にこのあいだなった。

 

根拠のない自信を持つ感覚を私は知らないような気がする

どちらかというといつも不安。

 

根拠のある自信は知っているだろうか?

そういうとこっちも微妙である。

 

チャレンジのない点だと

この道を右に曲がれば家だ!みたいな

その辺は自信があるのかもしれないけれど、

はたしてそれを自信として味わったことがあるか?

微妙である。

 

何かの取り組みごと、チャレンジがある点に関する自信でも

”なんとかなる”そう思ったことは何度もあるが

自信がある状態かと言われるとないような。

 

”もっとできる。そう思っているから”

だろうか?

 

自信には決められたボーダーラインがないのかもしれない。

できないだろう から できるかもしれない から きっとできる

そのどこからかを人は自信と呼んでいる。

どこから”自信がある”と呼ぶかは、人によって異なるんだろう。

 

そもそも100%の自信なんていうものはあるんだろうか?

 

不安とは?

 

不安を感じない状態 イコール 自信がある状態

とは言えないと思うのである。

 

不安がない状態になったことは何度かあるが、

その時は何かの感情が溢れていたりする。

感謝だったり、嬉しさだったり、感動だったり。

そういう時、全然不安ではない。 

人生ずっと不安ならば、違う感情を入れ込めばいいのである。

 

あ。自信は、感情ではないのだろう。

 

人間は最初 表面にいる

そして何かを学ぶことで

だんだん深くなっていく

 

深くもぐることで、安心する。

もしかしたら、その深さを時々 水中や地下から見上げて、

空が遠くに見えたときの感覚

 

これを 自信 というのかもしれない。

 

なにごとも、楽しくやるためには練習しかない。

地下の湧水にたどり着くには、深く行くしかないということ。

そう少しずつ

私は近づいている

そう信じたい。

Are you going to Scarborough Fair?

Are you going to Scarborough Fair?

 

情熱と聞いて。

一瞬、ほの暗い感情を覚えた。

情熱なんて持っていたことがあっただろうか。私といえば、なんとなく低いエネルギーで、低い音波を発しているのではないか。

しかし、ふと青色がよぎった。それは硬く、冷たく、動かない、だけど細かい周波をずっと発している。箱のようなもの。

その時偶然仲間が「赤い情熱はすぐに消える。青い情熱は持続する。」と言った。

 

自分には情熱があるのだろう。

だから向かおうとする。改善しようとする。

 

失ってはいけないものがあるのだということを知っているのだろう。

躍起になる。頑固になる。泣きたくなる。

 

自分を呼んでいる声を聞いているのだろう。

 

どうしてそれをするのかと言われたら、

それをやめたら人生をやめると同義だから、としか

答えようのないもののこと。

 

私はアートという木を自分に深く植えつけたい。

アートを表面でみたら、たくさん種類がある。

踊ること、描くこと、彫ること、作ること、書くこと、歌うこと、詠むこと、壊すこと。

でも、根っこはひとつ。

 

私がこの世に生をうけたとき

ひとつの場所を選んで植えてきた木。

 

その根っこが水源に触れていないと、全部枯れてしまう。

つぼみは何よりも尊い

 

私は情熱の、その木の奴隷だ。

その瞬間やりたいことがあっても、

木が呼べば、私は無視しない。

 

もしもあなたがアートが好きだというならば、

あなたと私の、その広い広い心の地面を一緒に歩き、

心をつなげて一つの世界にしてみたいと思う。

 

芝生になっているところ。

きれいな水が湧いているところ。

捨てられた電化製品が積まれているところ。

畑。

市場の跡地のようになっているところ。

歌声の聴こえるところ。

暗くて暗くて仕方ない日陰。

もう一つの島。

壊れかけた橋。

不思議な鳥が集まる場所。

霧雨。

 

どんな場所だってきっと愛せると思うから。

 

Are you going to Scarborough Fair?

 

私は木にもう一度会いたくて苦しい。

どうか私にパセリ、セージ、ローズマリーとタイムをください。

 

Please don't leave me in the dark

夢にでてきてくれたあなたへ

 

たとえあなたが牙をむいたとしても

あなたが泣いてくれたから

今、私はあなたを受け入れています。

 

あなたの言葉が私の恐怖心に火を付けたから

私が生命の危機として認知したから

あなたを迎え入れるという発想にならなかった。

 

だけど、

あなたの謝罪は、わたしの謝罪でもあったのです。

あなたの涙は、わたしの涙でもあったのです。

 

だから、愛しています。

 

夢の中でおびえていた私へ

 

怖くて怖くて怖くて。とにかく、怖かった。

言いようのない不安に包まれて、気持ち悪かった。

 

ただ、あなたの不安が、尋ねてきた人を、結果的に怖い人にしたのかもしれない。

すごくCleanで繊細でまっすぐだったその人を。

 

怖いと思う一方で、どこかで少しその人がいることを嬉しく思ったり、

ほんの少しだけ、心地いいと思っていたりしたのかもしれません。

 

だから、近づいていったのではないでしょうか。

 

それとも、怖いその人に対しても、

怒られないように、言いなりになろうとしただけでしょうか?

従わなくては、という普段の思考が出ただけでしょうか?

助けを求められたという事実に幸せを感じましたか?

 

忘れてなどいない。

 

Everyone is on their matter

baby don't worry you know that you got me

 

先週腹痛と脳貧血で倒れた。幸運なことに実家で、母がいた。

痛みはひどかったし、祈るしかない時間だったけど、変に幸せな時間だった。

手当てのために自分で手を当てたその手がぬるくて頼りなかったこと。

脳貧血を百戦錬磨していて脳貧血のプロフェッショナルたる母が、脳貧血時に押すべきツボを押してくれたこと。

血が足に戻ってきて暖かさが増えていく、安心していく過程。

その後もしばらくちょっと貧血で気持ち悪い感じ。

なんで心地よかったんだろう。堂々と全身でLow-keyでいられる感じだろうか。

 

痛みで思うけど、

感情に良い悪いはないというが、”気持ち悪い”とか”痛い”感情がある。

最近よく起こりがちである。

この気持ち悪い感情とは、どう付き合っていくのがいいんだろう。

いや…どう付き合っていきたいんだろう。

また正解を探してしまっている。正解を探すのは不正解なんだろうか?

 

”気持ち悪い”や”痛い”のはなんでなんだろう、罪の意識とか、苛立ちとか、自己防衛とか、悔しいとか、不満とか、不服とか、不安な焦りが。

感情として、普通にあるものなのに。なんでイヤなんだろう。

 

仕事がうまくいってないから、他のものもうまくいってないように思うんだろうか?

仕事ができないのは私のせいだろうか?

私に任せた人のせいだろうか?

私に仕事を残して辞めていった人のせい?

組織のせい?

 

”baby don't worry you know that you got me”

The Roots のYou Got Me。

Erykah baduの声で歌うこのフレーズに安心感がある。

私はすでに、一緒にいてくれる何かがあるとわかるのだ。

これを歌ってくれているYouの正体はなんだろう。

私のそばにいつもいてくれている、Youの正体は何?あなたは誰?

 

この数週間、踊れていない。

踊る時間は、長くはないけど、取っているから、動いてはいる。

でも、本当の意味で踊れていない。

体と音楽がバラバラ、体と心がバラバラ、心と音楽がバラバラ、脳がうるさい、

動いていて気持ち良くない。景色を見ている。目が先行している。

歌声をとらえるだけで精一杯。他の楽器を聴いている余裕がない。

 

自分のために踊ってないと、踊れない。

自分が自立していないと、踊れない。

Pushして表現しちゃうと、踊れない。

自分とつながって自分の感覚にアクセスしないと、踊れない。

Inputの質が悪いと、踊れない。

踊れないと、踊るように生きられない。気づいたら地に足がベタ足でついてて、途方にくれてる。

 

この足を踏み鳴らしても、きっと地面が割れることがない。

この足で高く飛んでも、結局空は飛べない。

それは私が人間だから。

でも、人間は踊れる。歌える。リズムに乗っかれる。韻を踏める。

つまり私は人間だから、

私は踊れる。歌える。リズムに乗っかれる。韻を踏める。

言葉や音楽や感情と一緒に奏でられるはず。そのものになったっていい。

 

それができれば、何もいらないのに。

 

7月のカレンダーには言葉がたくさん並んだ。

日付を無視して、メモすべきものをただ書いていたら、とても汚いがとても美しいページになった。

8月のカレンダーは大変大人しい。事務連絡しか書いていない。

8月の私は生きていたのだろうか?

8月はなんのためにあったのだろうか?

8月の私はどこかへ向かっただろうか?

7月の私と8月の私を比較することに意味があるのだろうか?

 

意味ね。

言ったら仕事に一番意味を見出せない。

…そう、最近全然仕事に意味を見出せないし、一方で

仕事では苦情をけっこうもらうし、苦情言ってくる相手の言葉がわかりづらいし、

もうその人たちとCommunication取りたくないし、正直いろんな人が嫌いだと思うし、

食い下がる人がうらやましいとか、理解して進められる人がうらやましいとか。

全然仕事がうまくいってない。うまくいってないし、楽しくない。

それなのに忙しいから10:00すぎても働いてる。

 

昼間はずっと打ち合わせだが、打ち合わせ中に至急の案件を対応したり電話対応したりしないと回らない。結果、打ち合わせの内容にはついていけなくなる。

打ち合わせ後のディスカッションのMTGでは何も言えない。それで昼間は何もしなかった〜みたいな感覚になって。

昼間のMTGが終わって夕方から自分の作業にとりかかるが、夕方は夕方で締め切りに追われたり、わからないことがあっても聞きづらくて疲れちゃう。

急ごうっていう気持ちがいつのまにかなくなる。

 

やべえ。枯れてる。

 

明日は久しぶりに出社。何ヶ月かぶりだ。

let's celebrate while we still can

脳不要。

魂のコラボレーション。

Spiritのコラボレーション。

 

あなたと私のコラボレーション。

音楽と私のコラボレーション。

 

脳にやらせているときと、Spiritにやらせているときがある。

全部がSpirit発信でできたら、人間は幸せなんじゃないかと思う。

ただ世間一般の人にもわかるようにする、つまり商品にするためには脳が必要なのかもしれない。

 

アートはSpiritでも通用するただ1つの取組なのかもしれない。

ただ、アートの中でも脳を使うアートもある。

 

インプロでは脳を使わないという考え方と、脳を使うという考え方とあるが、

私は前者のほうが好き。

Spiritは美しいし、無駄がないし、わかりやすい。

脳を使うのはあまり好きじゃない。

これって、サボっているんだろうか?脳を使うのをサボりたいのだろうか?

 

感情が豊かなほうを是とする、昔からどこかそんなところがある。

自分にないから憧れているのかと思っていたけど、そうではない気がしてきた。

そのほうがSpiritに詰まりがないように思えるからじゃないだろうか。

 

Spiritダダ漏れでありたいのではないか、私は。

感情豊かで、オラオラしてて、自分がよければOKになりたいのではないか。

つまり赤ちゃんみたいな。

 

「自分がよければOK」は、自分のSpiritが誰かへの愛情や誠意を選ぶと信じているから。

 

ーーーー

 

心配している暇があったら、目の前のものに集中する。

見よう、取りこぼさないようにしよう、としていると、本当は見えていない。

Relaxしてただ見る、プレッシャーを自分で与えないってことかな。

プレッシャーゼロだとふわついてしまう…と思うのは、自分のことを信頼していないからだろうか。

 

自分のことを信頼していたら、心配がなくなる。

そのとき、ベストパフォーマンスを発揮できるのだと思う。

 

本当の意味での失敗がないということが腑に落ちれば怖いものがなくなっていく。

ただ、本当の意味での失敗は本当にないんだろうか?

取り返せないものもある。記憶に刷り込まれてしまうという意味でも、事実や未来が変化するという意味でも。

 

私が恐怖している、それ。

それは、結構身近にある。起こりうる。だからこそ恐怖している。

 

”昨日の間に天使が物語を書いてるから、私たちはただやればいい。シナリオは全部決まっている。”

 

この考えに基づいてやれば、無理はしなくなる。

運命は決まっている。ただ生きればいい。ただ進みたい方に進んだらいい。

 

ーーー

 

とことんやりたい。偽物は許したくない。

「緩む」だって、どんどん「緩む」を極めたい。

「繊細」なら、「繊細」を極めたい。細かいところをinputして。加工せずにoutputして。

 

自分だと思っているのは一つの器。正体なんて、無い。

 

ただね。今あるものをCelebrateするの、いいと思うの。

let's celebrate while we still can

幸せはCelebrateの中にある。幸せは全てをつつんでくれるからね。

 

Ysa