p.o.v

Speak Gibberish out loud!!

I'm telling the truth

What i can do

What i wanna do

What i should do to be better

これがいつもあったほうがいい。

これがないと、集団の1人というか、集団の総意にしたがって動く人になっちゃう。

怖いことに。

集団の総意がないと動けないのは変だ。体はもう踊りに向いはじめているのに、それを規制するような感覚。

許可を集団に求める感覚。これ、おかしい。可笑しい、かつ、変。

 

自分で髪を切った。主に頭の後ろ。

首元が出てないと暑いし、見ている方も暑苦しいと思うので。

 

髪を切るため、Loftで髪切る用ハサミを購入したのだが

通常のハサミを持ってないのに髪切る用ハサミを持ってる人はそんなにいないかもなとふと思った。

通常のハサミは使わないからかなり昔に断捨離したのだ。

※値段のタブは眉を剃るやつで切れます。紙は手で切れます。

 

昨日・今日はダンスレッスンだった。

音楽の中にある呼吸を感じて、実際に呼吸して、体と音楽を近づけていくことをした。

音楽の中にある呼吸っていうのは、主に歌声だけど、トランペットとかアコーディオンにも呼吸がある。

 

呼吸で聴く。音楽にまた新しい角度ができた感じ。

「上下」の波にプラスして、「前後」の波?厚み?ができた感じ。

※時間的な前後ではなくて、立体的にみた前後

歌声の艶、もより感じられる気がする。

 

今日はアコーディオンの入った曲を探して聴いてみたり

好きな曲で呼吸を合わせて聴いてみたりした。

でも、レッスンで聴いた時のほうがくっきりしている。

問題は音量・音質なんじゃないかと思っているんだけど。

 

私が買った11000円くらいのヘッドホン。

(ヘッドホンにしては高いほうではないと思うけど、貧乏性が時々抜けない私にとっては結構大きな賭けだったりする)

何故か、聴いていても気持ちが盛り上がらない。

なんかマイルドな感じがする。そもそも音量が小さいのと、なんか、鈍い感じ。

amazonの評価は音質において、ばりばり高いのだが…。私の耳がまだ出来上がっていないってことかな。

 

その代わり、もらいものの、そこまで新しくないしそこまで高い感じもしないヘッドホン。

これは、時々すげー「感覚で盛り上がれる」ことがある。

結構古いモデルだったのだけれど…

音の粒々感がすごくて、個性が感じられて、いろんな聴き方の楽しさがわかる感じ。

 

今日は9000円くらいのwireless earphoneを購入しました。

元は30000円超えるものなんだけど中古で。

中古で買ったことない、こういうの。

だけど、今ちょうど使っているwirelessが壊れてて、聴きながら体をcarelessに動かせない状態が結構しんどいので、買ってみることに。(有線headphoneだとcarefulってこと)

音質はいいほうがいい。むしろ音質は命。今回買ったのは中古だけど音質についてかなり高評価なモデルなので、期待して到着を待ってみる。

 

もっともっと音楽と近づいていきたい。自分の感覚と近づいていきたい。自分の中で鳴ってる音ももっと知りたい。どんな音を鳴らせるのかも。

 

バイスも大事だが、集中力がもっと大事、

頭がぼおっとしている時、聴く集中力が散漫してて、表層を頭で理解するだけに留まってしまう。

感覚で聴いてない、心と体で聴いてない状態になってしまう。

いつもフレッシュで、休むときは休んで、という感じにしたい。

 

ちなみに、小麦は結構眠くなるのかもしれないな。

小麦をやめてみるか…

…これはこれは大きな決断だ。

…少し考えさせてくれw  (自分で思いついといて…なぜ1人2役…インパクトのでかい提案すぎたか…)

 

でも食べるよりも楽しいことが”そこ”にあるのは明白。

食べることよりも自分の感覚を開いていくことを優先したい。

(もちろん栄養は取る。感覚のために。)

 

明日はサバ飯を炊くので楽しみだ。サバ飯なら少し眠気も遠くなるだろうか?

 

夜のお供にミントティ(カフェインレス)を作ったんだけど、明らかに作りすぎた。

冷やして明日の自分へのささやかなプレゼントにしようか。

 

砂糖摂らない生活、数週間続いている。気持ちの落ち込みが少なくていい感じ。

 

TamiaのStuck with meにはまっている。ドラムの音がない瞬間の スッ 感がいい。

うねりがいい感じ。

透明感もいい感じ。なんか、キラキラしてる。

夜空がぱーっと広がっている感じだ。

歌詞は冷静に聴くとちょっと怖い。でも、感情って、こういうものだよね、とも思う。

 

夜空をみながら聴きたくなってきたので、そろそろ屋上に上がって踊ってみることにする。

 

Ysa

I wanna be just like you

コロナ明けもあまり会社に出社することがなさそうで、

むしろダンススタジオのほうが行くんじゃないかということで、

引越しを検討しはじめた。引越しへの敷居はめちゃめちゃ低い。

今日はダンスレッスンの時間ギリギリまでミーティングがあったので、ダンススタジオ近くのカラオケでテレワークした。

いい家があったら引越しちゃったほうがお金も時間もローコスト。

 

「うっすら知ってる曲」が一番気持ちよく踊れない。

メインメロディはなんとなくわかってて、歌詞の1番・2番はごっちゃになってて、コーラス部分だけ歌えるとか、それくらいのレベルの曲。

中途半端に歌声を取ろうとするが、自信がないので、音に「反応」する。

不安だからグルーブに頼る。なんというかポジティブな頼り方ではない。ごまかしに使っている。

フリースタイル踊る時、その曲を知ってるといえるか・いえないか、まず決めたほうがいいのかも。

知らないと判断するなら知らない時の聴き方をする。いったん忘れて、初めましてをする。

でもそもそも知っている時の聴き方を…まだよくわかっていないかも。

知っている時は、聴いていない?覚えている?

 

今日は最初全然調子が悪くて。

自分に対して自分の声が響いている「ファースト」の状態になってるとき、全てがうっすらと怖い。povだと思う。

怖くていろんなものが受け取れなくなる。

課題だと思う。ファーストになっているときにいかに抜け出すか。。

 

…まずはRelax。

…まずはグルーブ。

 

体のControlが必要。メリハリをつけて動くためには1つ1つ命令を出す。

どこで命令を出すのか…?全部なのだろうか?

意識して動かないとNaturalな動きしか出てこない。Un naturalの中に見えやすい動きがある。

 

断捨離。うっすら知ってるなあって曲は、もう知らないことにしちゃって、Downloadから外しちゃう。ちょっとずつexpandしてく。

 

言葉は知っている気にさせる。だけど本当は全然わかっていない。

「知っている気」から抜けて、「わかる」まで。これは長い道のり。

いつまでもいつまでも「知っている気」は着いてくる、気を抜くといつも自分の枠組みの中で言葉を加工して、「知っている気」を醸造する。

ただ、わかっている人の話は、整っている。シンプル。

 

Ysa

But I hope I can be with you

自分がやっていたことを人の目を通して聞いてびっくりした。

自分がそんなことをしていたなんて、知らなかった。

少なくとも私の脳はそういう風につなげて考えて、意味を見出してなどいなかった。

点、点、点、

事実が点になっているが、つなげるとそういう絵になるのかって驚く感じ。

一つ一つの行動は、脳と心と精神と体のコラボの結果かもしれない。

その場合、もしかしたら無意識が大きな影響を持っているかもしれない。

 

私が選んでいるのか。

 

Under Controlすぎるのかもしれない。

いつのまにか抑圧したり、理想的と思われる方向にプッシュしたりしている。

少し縛っている。少し不自由。

進みたい方角ではあるのかもしれないが、少し強制(矯正)して、向かっている。

 

結果、ゴールがないとき、

どうしたいのか…何が見たいのか…聴きたいのか…伝えたいのか…わからない。

 

目を背けたいシーン。体が嫌がったシーン。

前向きにやること。行動すること。その正解をやろうとするとき、自分自身と解離してしまう。

前に前に進もうとしすぎて、内臓をいくつか置いてきている感じかもしれない。

 

嫌がりながらもやるのか、止めるのか、それは選択。

 

幅を広げるより前に、まずは自分が何者で、何をしがたっているのかを大切にするべきなのかもしれない。

自分を深める作業は1人のときにやって、ワークではチャレンジをするというのが理想かもしれないが。

理想から入ると、なんか、自分をプッシュして自分の動機を置き去りにしている感が出てしまう。

 

体が反応してくれることはすごく嬉しいことなんだけど

それすらも自分で貼っているレッテルかもしれない。

体が反応するってことは、自分のより深いところからきている感覚で、

これを続けていれば、もっと自分の体とコネクト/コンタクトできるのではないかと。

 

しいてはインプロでもっといいシーンできるかなとか。ダンスでもっと美しいものをできるかなとか。

現実的極まりない、こういうのをなんて言うんだっけ。成果主義っていうか、結果ありきで憧れている感じだ。

 

じゃあ今の自分はどうなりたいの?

ご飯を食べたいの、食べたくないの?

寝たいの、起きてたいの?

おざなりになる。結果的に自分が何をしたいのか全然わからない。ヒントもない。横たわってボーッとしてみていると、無気力になったりする。

 

エネルギーは出そうと思わなくても出るものではないだろうか。

プッシュして出すエネルギーは燃費が悪い。ガソリンがたくさん必要だ。

ーーー

今日はふとした瞬間に「無意識」へとアクセスしていたように思う。少なくとも無意識世界を意識することが何度かあった。

きっかけは朝見ていたテレビの皆川明さんのアートワーク。

見た瞬間に「とすん」と体に降りてくる感じ、同時に羨望が沸く感じ。

理解を超えているから、脳が嫉妬する。共振するから、精神が喜ぶ。

 

 

脳が嫉妬しながらも、精神が喜ぶ。この感覚、時々ある。

脳が嫉妬することで、脳はそこに憧れて、ついていきたくなる。

精神はどうしてるのだろう。ついていくことに賛成はしている気がするが。

脳も精神も賛同するから、結果としてアートをやってる。

脳が許したその分野で、アートをやってる。

ただ、その世界でも引き続き、脳がコントロールしている。やってるのは、なんかアートというより鍛錬している感じ。

鍛錬、修練、なんかそんな感じ。

だが、本当は、アートはもっと広く、もっと自由で、もっと根ざした感覚があるはず。

 

分野の問題ではない。やり方の問題。

ーーー

いつもなんとなく正当化しながら話している。

脳は答えを出そうとするが、脳が答えを持っていないのだ。

だから、質問に対する答えはすべて「正当化」になる。

正当化しているってことはそれは、ある意味、「嘘」って感じだ。

嘘しかついたことないんじゃないかとすら思ってくる。

 

もちろん、厳密にいったら「言葉にしている」ということはすべて「嘘」になる。

でも言いたいのは、言葉にしていることがあまりにも現実味がないっていうか

自分の体に根ざされたものではないってことかな。

 

根差されていないけど、嘘ついていたくはないから、必死に嘘ではないことを証明しようとしている。

話に筋が通っているかばかり気になる。

 

でっかい愛。。嬉しい、そしてうらやましいなあ。

If giving left me high and dry

20時すぎてたけど電話してきた、他社の人。

「数分前にYsaさんがメールを送っていたから、大丈夫かと思って」とのこと。

この勇気は、私にとって、嬉しいもの。

そしてその後、なんとなく助けたくなるもの。

 

■■

 

最近の自分、すごく自分と繋がりたいんだけど。

それは自分と繋がったらいろんな問題が解決すると思うからである。

つまり”ゴール”を想定。

ゴールがないとどう歩いていいのかわからないのだ。

 

昔、物語を作るのが好きだった。

文字がかけないときは、絵でお話を描いてた。

文字がかけるようになってからは、絵本を作った。

文字が巧みになってからは、小説になった。

 

何をかいていたかって、それはストーリーではなかった。

好きなキャラクター。その口癖。面白い仕掛け。不思議な感触のものに閉じ込められたり、上に落ちたりすること。通りたい廊下。知りたい部屋。仲間とのカジュアルな会話。協力すること。勝つこと。悪者への制裁。住みたい木のうろ。走るべき場所。しかるべきバイオレンス。

その瞬間に手が作りたいもの、目が見たいもの、嗅ぎたい匂い、感じたい感覚…。

 

そのとき、息をしていたか?Noである。

そのとき、鳥肌がたったか?Yesである。

そのとき、何か考えていたか?Noである。

そのとき、楽しいと思ったか?定かではない。でも止められなかった。

 

それからしばらくして、自然とゴールを作るようになったことも覚えている。

ゴールを作るようになってから、一度も物語が完成しなかったことも。

 

だから、ゴールに固執しないほうがいいんじゃないかって思う。

目の前にすんごいものがあるのだから。

それは、本当に、「すんごい」もの。「すんご」くて「すんご」くて圧倒されちゃうもの。

 

成長を目指すのであれば「こうなりたい」が出てきてしまう。

そのバランシング、超むずかしいね。これはあたしの宿題です。

 

■■

 

人を助ける人は、助けを無言のうちに求めているのではないかとも思う。

でも、そうではない人もいる。

 

”自分のために”とか”相手のために”とかそういう軸ではない気がする。

結果的に、生きるのは”自分のため”なんじゃない?

感じたい感覚を感じるためなんじゃない?

人間は感覚のために生きてるんじゃない?命って感覚のことなんじゃない?

神様教えて。神様は感覚がありますか?

 

■■

I'll never leave you if you're thinking that it's all the same
I'll never trust you if you're thinking that it's just a game

Blood Orange のChamakayは最高。

■■

 

Ysa

Tear

涙について。

涙を堪えている時、人の話がうまく聞けない。

でも、泣き始めると、もっと聞けない。

泣きたくないのに泣きそうな時、どうしたらいいんだろう。

 

この悩みは小学生低学年くらいの時から。

私は本当に少しのことで泣いていたが、私が泣くと誰かが必ず慰めてくれた。

慰めてくれることがありがたくて、相手が優しくてびっくりして、

その影響でもっと涙が出てきて本当に困るのだ。

「もう悲しくないんだ、慰めなくていいんだ、ありがとう」

って言いたいのに、Choke upしてしまって言えない。

 

人から励まされるほどに逆に泣いてしまうことに気づいた私は

人にバレないように1人で泣くを完結することを習得したし、

涙が目から出なければ泣いていることがバレないのにと常々思っていた。

例えば足の裏とかから水が出たらいい。そしたらこっそり靴を脱いでタオルの上に足を載せていればいいだけだから簡単だ。

多分ちょっと変かもしれないけど、しゃくりあげて目から水が出ている状態よりもずっと正常に見えるんじゃない?

 

ーーー

 

XXXTentacionもJuiceWRLDもMac Millerも亡くなって少ししてから知った。

亡くなったから誰かが話題にしたのかもしれないし、偶然かもしれない。

亡くなってからだけど、ありがとうと感謝している。

 

今日はMac MillerのThat's lifeがしっくり。

音楽こんなに聴けない日は久しぶりかもしれない。

 

とても色鮮やかな日だった。

雨に洗い流された新橋は結構綺麗だったし、

すれ違う人たちとすれ違うことが奇跡だと思った。

電車で前に座った金髪でお洒落なジーンズを履いた人

駅の地下道ですれ違ったバンダナを横に下げた人

なんか斜めに体が傾いている人

あなたに出会えたことが嬉しいなと毎瞬、思った。

 

全部、自分から自由になりたくてやっているのだ。

仕事も。インプロも。ダンスも。その他の冒険も。何もかも。

自分を囲む殻から、生まれたくて

自分を縛る鎖から、離れたくて

自分が今いる場所は、あまりにも生温い感じがするのかもしれない。

それが時々凹むくらい、おえっと思うくらい、嫌なのかもしれない。

 

また明日がいい日になりますように。

Eating Habit

今日は結構いい感じに食生活ができた気がする。

 

朝ごはんをスキップし

お昼は

昨日作ったスープ(オクラ・なめこ・ほうれんそう・鰹節・アミエビ・卵・ゴマ)

生の野菜(赤パプリカ・ミニトマト)

サバ炊き込み雑穀米(玄米・サバ・雑穀・納豆・卵)

夜は
ベトナム料理屋さんで蒸し鶏と少しのチキンライス
 
ご飯を作る・食べるのは面倒!消化は疲れる!
でも、栄養が偏っていると、元気が出ない!
だから簡単な料理で、少ない量で、栄養をしっかりとりたい。
 
人生で一番古い記憶は「自分が呼吸していることに気づいた瞬間」なんだけど
このときも呼吸のことを「面倒くさいなあ。疲れるなあ。」って思ったと記憶してる。
多分、めんどくさがりや、である。
 
最近、体と相談して、体が嫌がるものはとらないようにしてみている。
この数年、牛・豚をとらないようにしてるけど、最近は追加で、
砂糖、お菓子、コンビニのお弁当やパンやサンドイッチ、パックで売られているサラダチキンをやめた。
 
大学生のとき、違う方法で自分にルールを科してた。
1日の摂取カロリーの上限と、「野菜・タンパク質・炭水化物」のバランスのルールを定めていた。
あの時は痩せすぎたし知能が落ちた気もするので、今はカロリーを気にしない。
 
今日は4連休の初日。
よく寝てよく休んでいっぱい音楽取り入れて、夕方はダンスのレッスン2コマ。
今日は体がいっぱい動いたけど、暑くてときどき集中力が途切れてた気がする。
 
ハウスのレッスンが8月いっぱいでなくなることになった。
結構役立っていたレッスンだったので残念。
運動とハウスのステップ習得はこのクラスに依存してしまっていた。
レッスンがないとできないって依存で、本当は自分1人でもやればいいんだけど!
ハイ正論!
 
ーーー
 
今日はちょっとしたことで悲しんでいる。
悲しみたいのかもしれないな。
 
そんな日は基本的にBlood Orangeの音楽がはまる。
「最初から好きじゃなかったアーティストを好きになっていく」のも興奮するけど
時々は帰る場所に帰って踊ってもいいよね。
 
明日はインプロ。
感情や表現活動に興味がある人はみんなインプロやったらいいのにーと思う。
 
守・破・離の考え方が好きだ。
まずはとことん真似するっていう。
守の中に、自分の枠を超えるプロセスがある。
 
どんどん広げていきたい。最後はでっかい自分になる。