If giving left me high and dry
20時すぎてたけど電話してきた、他社の人。
「数分前にYsaさんがメールを送っていたから、大丈夫かと思って」とのこと。
この勇気は、私にとって、嬉しいもの。
そしてその後、なんとなく助けたくなるもの。
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最近の自分、すごく自分と繋がりたいんだけど。
それは自分と繋がったらいろんな問題が解決すると思うからである。
つまり”ゴール”を想定。
ゴールがないとどう歩いていいのかわからないのだ。
昔、物語を作るのが好きだった。
文字がかけないときは、絵でお話を描いてた。
文字がかけるようになってからは、絵本を作った。
文字が巧みになってからは、小説になった。
何をかいていたかって、それはストーリーではなかった。
好きなキャラクター。その口癖。面白い仕掛け。不思議な感触のものに閉じ込められたり、上に落ちたりすること。通りたい廊下。知りたい部屋。仲間とのカジュアルな会話。協力すること。勝つこと。悪者への制裁。住みたい木のうろ。走るべき場所。しかるべきバイオレンス。
その瞬間に手が作りたいもの、目が見たいもの、嗅ぎたい匂い、感じたい感覚…。
そのとき、息をしていたか?Noである。
そのとき、鳥肌がたったか?Yesである。
そのとき、何か考えていたか?Noである。
そのとき、楽しいと思ったか?定かではない。でも止められなかった。
それからしばらくして、自然とゴールを作るようになったことも覚えている。
ゴールを作るようになってから、一度も物語が完成しなかったことも。
だから、ゴールに固執しないほうがいいんじゃないかって思う。
目の前にすんごいものがあるのだから。
それは、本当に、「すんごい」もの。「すんご」くて「すんご」くて圧倒されちゃうもの。
成長を目指すのであれば「こうなりたい」が出てきてしまう。
そのバランシング、超むずかしいね。これはあたしの宿題です。
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人を助ける人は、助けを無言のうちに求めているのではないかとも思う。
でも、そうではない人もいる。
”自分のために”とか”相手のために”とかそういう軸ではない気がする。
結果的に、生きるのは”自分のため”なんじゃない?
感じたい感覚を感じるためなんじゃない?
人間は感覚のために生きてるんじゃない?命って感覚のことなんじゃない?
神様教えて。神様は感覚がありますか?
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I'll never leave you if you're thinking that it's all the same
I'll never trust you if you're thinking that it's just a game
Blood Orange のChamakayは最高。
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Ysa