p.o.v

Speak Gibberish out loud!!

The apple caught my eye

余韻が残っている

水の中を泳いでいるみたいだった

自由で、周りに何もない

音楽だけが水流のように、私を取り囲んでいた

 

安心していた

声と私が同じ方向を向いていた

私はあなたを知っていて

あなたは私を知っている

そう思った

 

ーーーーーー

 

根拠のない自信と、根拠のある自信

という話にこのあいだなった。

 

根拠のない自信を持つ感覚を私は知らないような気がする

どちらかというといつも不安。

 

根拠のある自信は知っているだろうか?

そういうとこっちも微妙である。

 

チャレンジのない点だと

この道を右に曲がれば家だ!みたいな

その辺は自信があるのかもしれないけれど、

はたしてそれを自信として味わったことがあるか?

微妙である。

 

何かの取り組みごと、チャレンジがある点に関する自信でも

”なんとかなる”そう思ったことは何度もあるが

自信がある状態かと言われるとないような。

 

”もっとできる。そう思っているから”

だろうか?

 

自信には決められたボーダーラインがないのかもしれない。

できないだろう から できるかもしれない から きっとできる

そのどこからかを人は自信と呼んでいる。

どこから”自信がある”と呼ぶかは、人によって異なるんだろう。

 

そもそも100%の自信なんていうものはあるんだろうか?

 

不安とは?

 

不安を感じない状態 イコール 自信がある状態

とは言えないと思うのである。

 

不安がない状態になったことは何度かあるが、

その時は何かの感情が溢れていたりする。

感謝だったり、嬉しさだったり、感動だったり。

そういう時、全然不安ではない。 

人生ずっと不安ならば、違う感情を入れ込めばいいのである。

 

あ。自信は、感情ではないのだろう。

 

人間は最初 表面にいる

そして何かを学ぶことで

だんだん深くなっていく

 

深くもぐることで、安心する。

もしかしたら、その深さを時々 水中や地下から見上げて、

空が遠くに見えたときの感覚

 

これを 自信 というのかもしれない。

 

なにごとも、楽しくやるためには練習しかない。

地下の湧水にたどり着くには、深く行くしかないということ。

そう少しずつ

私は近づいている

そう信じたい。