p.o.v

Speak Gibberish out loud!!

You are in my cadillac

淡々とした雨の降る、白い日。

こんな日はSiRが聴きたくなって、

今日は朝数時間SiRを流しながらのんびりしていた。

 

こんなに短期間で音楽が遠くなることがあるのか、と思ったけど、

音楽を感じることを忘れたのかなと思っていたけど、

声の角を聴く感覚もなくなっていたみたい。

いろいろと無くしてしまうのね。

 

結果として、最も恐れていたことが起こったわけだけれど、

それがなくても生きていけると気づけたのはよかった。

踊る感覚、音楽を聴く感覚は、私の幸せを構成する一つの要素であり、命よりも大切なものではない。

最初は踊れないと生きている意味がわからなかったけど、世界が助けてくれた。人や、人が作ったものたちが。

自分の中の回復力も感じた。どうしても復活しようとする自分。たくましいな、と。

 

自分が自分のもとに戻ってきたら、

ここから、丁寧に積み直しを行う、だけ。

 

何ができるかできないかはその日によって違う。

大事なのはプロセスだ。

どうしたらできるようになる?

どういう行動をしていたら、よくなった?

逆に、

どういうことをしたら、失う?

どういう行動をしていたら、調子が悪い?

を覚えていることだ。

 

自分に厳しくするという言葉の意味も。

最初から「これくらいできるはず」のハードルが高いと、

できなかったときに悲しかったり、満足できなかったりする。

自分に「満足した?」と聞く言葉は毒になりうる。

 

今日はたくさん音楽を聴いた。

ちょっとだけだけど練習もした。

歩く時は大股で歩いた。お尻の付け根が痛くなるという発見をした。

 

毎日夜に、今日の義務を果たしていないなと感じるのは、

義務を決めていないからかもしれないなと思う。

全部クリアしてハッピーになりたい。

 

明日、自分の義務を決めよう。

 

「それをするのが普通」にするのが大事だと思う。

毎日大変だと疲れるから。

呼吸をするようにすること。

 

毎朝アフタービートをチャージすること。

できればそれを維持すること。

だけど、今の私はアフタービートが体にリズムを残している感覚を忘れてしまっているから、まずは焦らないように乱れないようにすること。

毎日少し運動すること。今の私は回復期だから、無理はしない。

姿勢を維持すること。背中から動かすことを意識すること。

 

少しでも成長したら、「できた」と嬉しくなること。

できたことに目を向けること、それは甘えではない。自分のコントロールだ。

 

すべて、私は意図的にやっている。

Can You Stand The Rain?

 

 

"自分のことを大切にする"こと。

"自分のことを愛する"こと。

その瞬間だけそうするのではなく、

毎分毎秒、そうするということ。

 

置いていかれている自分の心があるなら、

それは早く進みすぎただけなのかもしれない。

 

心があっても、悲しみとか、痛みが大きすぎて、どうしたらよいかわからない最近。

 

他の人からの評価が前提にあって動いていると、

自分が何をしたいのかわからなくなる。

 

前進できないことは、ダメなことではない。

というか、止まっているということが、一つの成長かもしれない。

 

私の場所は、私にしかわからない。

 

私はずっと、自分のことを正確に愛することができないと感じる。

なんかちょっと深いところでねじれてしまっていて、

それを表現するのにためらいがあり、表現しないようにしている感じだ。

 

隠しているから、自分がいつも嘘をついていないか、監視しないといけない。

自分の言葉をいつも疑っている。

ただ、疑って終わっている。

それが本当なら、「本当なんだね」って信じたほうがよいのだと思う。

 

踊りたいなあ。

 

Dru hillが好きだ。Sisqoを見ているとすごいなって思う。

エネルギーが溢れている。

エネルギーが文字通り溢れている人って、ほかに見たことない。

エネルギーが溢れるって言葉は使うことがあるけれど、多分、ちょっと使い道が違う。

溢れるって、本当に溢れることがあって、その状態を言っているのだと思う。

 

Dru hillの5 steps が涙なくして聴けない。文字通りの意味で。

涙は溢れなくていいから、エネルギーが溢れたらいいのにって思う。

このままじゃ、とても、去れない。

 

自分の存在に感謝すること。

全然走れなかったけど走ろうとしていた自分に感謝すること。

抜かされるなんてありえない。

位置という概念はここに存在しないのだから。

 

お願いだから、焦らないで

結果を求めないで

自分を最優先にして

自分を傷つけないで

自分なんてと思わないで

人と比較しないで

人のためにやらないで

一人になって

自分と一緒にいて

逃げないで

幸せになることから遠ざかる選択をしないで

たとえ踊れなくても、世界の終わりのように感じないで

忍耐強く、待ってて

自分のために生きて

 

ずーっと。

 

私は大丈夫で、問題なんてなくて、こういう生き物で、

びくびくしながら外の世界を覗いている。

一つの光を抱えている。

 

最近心臓のあたりがちょっと痛くて、心臓病が悪化してるのかなってちょっと思ってたけど、

多分、痛いのは心臓というか、心なのだと思う。

 

Can you stand the rain?

Yes.. love you unconditionally.

 

自分は絶対に自分を見捨てないでいよう。

 

Through it all

発表会が終わった。

 

終わった後の映像を見て第一印象として思うのは、楽しそうなんだけど、なんか軽いなあ、ということ。

音楽から離れている瞬間が多い。

 

たった3分のステージのためにこの2ヶ月のできることを注いだ。

 

思うこと。気持ちの管理が大切だった。

気持ちが荒れるとそれは自分の内臓にブーメランのように返ってくる。文字通りの意味で。

 

発表会までの最後の1週間が幕をあけるとともに、私の体は故障した。

2日間は長時間起きていられないくらいのみぞおちの激痛と戦った。

その後も本番まで、時々痛むお腹と、なんとなく思い切り動けない体と付き合った。

 

お医者さんに1週間お世話になった。

レントゲンを撮ったら、心臓と小腸に異常が見つかった。

血液検査では体内の炎症で異常値を出した。

炎症の値は「体内のどこかが荒れている状態のときに高くなる」とのこと。普通の人は特に高い人の場合でも0.2のところ、4。だいぶ荒れている状態で、何かが起きていることには変わりないとのことだったが、いまだに原因は不明だ。

 

体内が異常だったのは、心が異常だったのを我慢したからかもしれない、と思う。

 

この2ヶ月、とっても大変だった。気持ちがずっと暴風雨だった。

卑屈になったり、人を疑ったり、反骨的になったり、みじめな気持ちになったり。

常に「10秒くれたら泣ける」状態だった。

どうしてと常に問うていた。どうして踊る感覚が戻らないのだろう、どうして練習してもできるようにならないのだろう、どうして私だけ違うのだろう、どうして何が違うかすらわからないのだろう。どうして。

毎日のように祈った。

そして踊る感覚は、本番が終わってしばらくするまで、戻ってくることがなかった。

 

…どうして暴風雨だったんだろう。

 

気持ちをそこに100%持っていきすぎた。

”魂を売っている”状態がよくなかったかもしれない。

”自分の存在すべて”と、”出来具合”が、同じになる。

出来ない時、自分の存在自体が怪しくなる。

 

作品に愛着を持ち、その感情に依存したかもしれない。

気持ちを膨らませることを最初からしすぎた。

大切なテーマの曲だったし、大切にしたいその気持ちが自分にとって真実だった。

だがそれを早くに膨らませすぎて、逆にその大きなエネルギーが”出来ないこと”への悲しさに転化してしまったかもしれない。

 

人の出来や発言を気にしたのも良くなかったかもしれない。

「できてないのに人のこと言う?」「わかってないのにわかったように話すな」っていうイライラがずっとあった。

完璧な人などいないのに。もっと寛容に扱えたらよかった。

 

…そんな暴風雨だけど、その暴風雨にも対処のしようがあったかもしれない。

 

とにかく人に話せたらよかった。

よく振られた爆発しそうな炭酸飲料のペットボトルは、蓋を開けて炭酸を逃さないと危険だ。

破裂してしまう。

ではなぜ蓋を開けてなかったのか。

自分の状態に自信がなく、間違っているのは自分かもと思った。間違いたくなかった。

言う言葉が全部言い訳みたいになりそうだった。根拠のない”自信のなさ”だ。基本的に自分は間違っていると思っているから、自分が言う言葉は、自分には全部”弁明”に聞こえてしまう。

チームメンバーに言ったらチームの雰囲気がもっと悪くなってしまうと思った。

自分で解決しなくてはいけないと思った。自分で解決するのが自分の成長のためになると思った。

 

…そもそも、平常心を保つのがよかったかな。

感情を発生させないようにするのは難しいと思う。

さわれないものをコントロールする感じ。天気と同じで。時には暴風雨だってあるじゃない?天気をコントロールできるのはすごい祈りができる人だけだ。晴れの舞とか雨乞いとかできる人。

それに発生しない状態って不健康じゃない?

発生させないことを目指すのではなく、むやみに自分を刺激しないことかなと思う。

 

…他にもいろんな原因があったとは思う。

 

例えば2ヶ月の中で、ワクチンを2回接種した。これも一つの原因だったかもしれない。

1回目も2回目も1週間なんとなく思い切り踊ることができない状態が続いた。

 

例えば休みの日がなかった。これも一つの原因だったかもしれない。

土曜は午前から夜までずっと練習とリハーサル。

日曜はインプロが毎週あったし、夕方は振りの細かい練習をしたりもした。

休日は外のスタジオを借りて練習。

のんびりする日はなかった。ううん、でも多分、のんびりするっていうことができない気持ちの状況だったから、のんびりする時間すらも作れなかったんだと思う。

 

やっぱり今回は感情が大きなテーマだった。

 

発表会が終わって、1週間経って、毎日踊っていたらやっと少しずつ感覚が戻ってきた。

踊るってこういうことだよねと思うと、やっぱり発表会では踊れていなかったなと思う。

 

踊ることが好きだ。

たとえ踊ることに向いていない心臓だったとしても、私の心は踊ることを求めている。

I gotta be the one to fill your life with sunshine

帰る場所が欲しくて

だけど過去のどこにも帰れなくて

寂しくて寂しくて

 

ずっと続くものではないものに不安を覚えて

たくさんあればそれだけで安心で

だから余剰に保とうとして

自分の力でそれを作り出せるようにして

 

誰もいなくても自分だけで作り出せるように

 

本当はわたしの背骨の隣にあなたの背骨があっても痛くないような

それくらいの存在が一つあれば良いのだと思う

 

溶けて溶けて水になりたい

たくさんの太陽の光を吸い込んで蒸発して

きらきらしながら高く高くまで登っていきたい

 

多分わたしたちは生まれながらにして揺れるのが好きだ

 

幼児の頃はゆりかごに乗せてもらって

子供になったらぶらんこに乗って

大人になったらハンモックを探して

 

バスの揺れにいつの間にか眠ってしまっていても

 

ダンサーであれば波に体をゆだねて体を揺らして

演劇をやるのであれば心を揺らして

その瞬間に「帰ってきた」と思うのと同時に

「遠くまで来た」のだと思う

 

揺れている状態にあるのが正しい状態なのかもしれない

わたしは

その揺れをそのまま世界に返せるようにしたい

 

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サンプリングの世界は、「これ聴いたことある」から、どこで聴いたかを思い出すまでの道のりが最高に楽しい。そして見つけた時には鳥肌が立って、効力感という嬉しさでいっぱいになる。

 

サイトで検索すればすぐ出てきちゃう便利な世の中だけど

まずできるだけ自力で思い出すようにしている。

そのほうが嬉しいからね。

 

 

Around the world and Im back again!

誰かの、「腹の底にある感情」って

向き合うと、なんとなくキャッチできるものだなあと思う。

 

今日出会った人は怒りが腹の底にあった。

心の底から笑っていても、共感していても、尊敬していても、緊張していても

腹のそこにある感情は怒りなのだろうなと思った。

 

その怒りはもはや、何に対してでもない。

強いていうなら、世界に対するPoint of View。

対象はあまりはっきりしないんだけど、

どの感情と仲がいいか、という風にも言い換えられるかもしれない。

 

腹の底。

 

私は子供のとき、悲しいが腹の底にありがちだった。

最近はいろんなものが混じっている。

悲しみに偏っていたのが、バランスが取れてきたかもしれない。

だって悲しい時は「悲しい」がよりクリアにわかるようになった。

 

青の中に青があっても見えにくいけど

黒の中に青があったらわりとよくわかる、その理論で。

 

このあいだ、ダンスのレッスン後に自分が変だって思ったことがあった。

何もキメてないのに、お酒も飲んでないのに、なんかハイで、頭ははっきりしているのに、心と体が「うわうわ」している感じ。

今気づいたが、あのとき腹の底にあったのは「開き直った楽しい」だったかもしれない。

 

レッスンで、

デキネエ。デキネエ。デキネエ。が積み重なって。

ハンセイ。ハンセイ。ハンセイ。が反芻して。

でも

オドリタイ。オドリタイ。オドリタイ。オドリタイ。

ワカリタイ。ワカリタイ。

 

いつものことだ。このあとだいたい悲しくなって、その後さわやかになって、レッスンが終わる。

 

だけど、この間は。

オドレネエ。オドリタイ。ワタシハヒトリ。

オドレ。ソレデモオドレ。モウイイ。イッパイイッパイ。

オドレ。デキる限りを尽くして踊れ。踊れ。おどれーーーーー!

 

…なんか開き直ってた。

 

普通に真面目にしていたけど、腹の底はなんかお祭りだった。

 

腹の底が「開き直った楽しい」のとき

会話のペースが変わる。というか、相手の言葉の理解の方法が変わって、それにかかる時間とか、理解の深さとか、熟考具合というかが変わる。

 

腹の底の感情よ。

 

開き直るということは、開く前にあったものもあったのだ。

開く前のものも大切にしないとと思う。

 

Lil wayneが好きだ。

music videoを見ているといつも圧巻され、何本か見てその後だいたい魂を抜かれている。

存在感がありすぎて息をのんでいるからかもしれない。ラップが面白すぎてかつ波が強いから笑ったり揺れたり声出したり忙しいからかもしれない。音楽に込められたメッセージ性が強くて涙が出るからかもしれない。顔が綺麗すぎて何回もハッとさせられるからかもしれない。music videoの世界観が面白すぎて引き込まれて現実を忘れているからかもしれない。

 

一つ、あの人の腹の底の感情は、わからない。私は持ったことがない何かかもしれない。(単に会ったことないからかもしれないけど。)

そこに、私は強く憧れる。この人になりたい。狂気を持ちたい。狂ったように笑いたい。と。

 

ハンセイ。今の腹の底は、「反省」。

今週はいっぱい基礎練やります。

睡眠をちゃんと取ります。

健康によいご飯を摂ります。

コーヒーはちゃんと淹れる、だけど、夕方以降はレッスンの日以外は飲まない。

 

私には憧れがある。

だから、やることいっぱい。

 

I love your music so much

You make it better, better, better, better

 

全然悲しくなかったはずなのに

音楽を聴いていたらなんだか心がつんとして

涙がどっと出てきた。

 

感情って、

いつの間にかポケットに溜まっている

 

そのポケットの存在を忘れている間

そのポケットの中身も忘れている

 

いつも同じ場所にあるわけではないような

時にそのポケットの中身は空っぽだったりもするような

 

そんなポケットが私には無数にあるんだろうと思う

 

ーーー

 

そっか

守られたいんだ

守ってほしいんだ

一人で生きるのは、不安なんだ

 

不安だから、一人で生きられるようにならなくてはと思ったんだ

 

どこの国でも、どんな環境でも、通用する人間になりたいと思ったんだ

その場に適用できる人に、なろうと思ったんだ

 

だから「いろんな文化を知りたい」と言って

いつも一人で無茶な出かけ方をしようとしていたんだ

 

強がった

一人でいようとした

他の人なんていなくても、大丈夫

仕事ができれば、生きていける

自分の力でお金を稼げれば、生きていける

 

一人になろうとした

一人で生きるのが不安だから、

一人になろうとした

不安だから、

強くなろうとした

 

だけど

不安は消えなかった

というか

強くもなれなかった

 

二つの反するポリシーが同居した

一つの会社に留まっていたら、スキルが偏るからダメだと思いつつ

どうしても安心する場所から出ていく気にもなれず

そんな自分をダメだと思っていた

 

一人で出かけていきたかったのを

友達に止めてもらって

本当はどこか安心していた

 

この知っている建物の中にいられる

知っている場所で知っている人達とともに呼吸し、眠れる

 

そういえばあの頃は一人ではできないことばかりで

大人に頼るしかなかった

 

実は今も

そのレベル感が違うだけで

ほとんどのことは一人でできないと感じている

 

あの頃も今も

私は一人では正しいものを選べない

私は一人では重要なことに気づかない

私は一人では損をする

 

私は一人では、破産するかもしれない

私は一人では、健康を害するかもしれない

と恐れている

 

あの頃は、できなかったら、泣いた

大声で誰かを呼んだ

 

誰のことも呼んではいけないと思っている

 

おおっぴらには呼べないから

助けて欲しいとき

誰かにささいなメッセージを送る

ちょっとやりとりすると、安心する

 

私は一人ではいろんなことができないと思っている

でも、

私は一人でそれをやらないといけないと思っている

大人なんだから、と。

 

でもそれでも、

まだ「子供」の私が周りの「大人」を見ていることがある

周りの人たちは自分よりもずっと大人に見えるんだ

この人たちを頼れば大丈夫かもしれないって思うんだ

 

だけど、頼るものか、とも思うんだ

一人でやりきらなきゃ

 

私はおそらく、大人になる方法を間違えている

 

 

That's the way love goes..

コーヒーをいれた。

 

コーヒーは豆からひいてる。こだわってる人っぽい。

だけど、コーヒーマシンを使っていれてる。こだわってない人っぽい。

すこしのアンバランス。

 

コーヒーを入れた直後、コーヒーマシンの蓋を開くと

熱い湯気がふわっと上がり、表面には水滴がたくさん。

まるで「よく働いた〜暑いな〜」と言っているよう。

ティッシュで水滴を拭き取るとき、汗をぬぐっているような気持ちになる。

 

暑い中コーヒー作ってくれてくれてありがとう。

 

いつの間にかブラックで飲めるようになっていた。

今まで、胃に悪いから〜なんて言って牛乳を必ずいれていたけれど

ただ甘えてるのかもしれないななんて思う。

 

ーーーーーー

 

誰かを自分のものにしたいって、どういう感覚なんだろうか。

 

今日、即興芝居のワークをオンラインでやっていて

ふとパートナーが言った、本人がやっていた役に関する一言

「(相手を)自分のものにしたいと思っているかも」

 

誰かを自分のものにしたいと思ったことがあっただろうか

 

誰かを自分のものにしたいと思ったことがあっただろうか

 

誰かを自分のものにしたいと思ったことがあっただろうか(イヤ、ナイ)

 

誰かを自分のものにしたいと思う気持ちは今はわからない。

だって所有するのに責任が伴いそう。何よりメンテナンスが面倒。

そんなキャパ無い。自分でせいいっぱいだ。

 

でも「あなたをひとりじめしたいの」という役もやれるようになりたいのである。

 

技術は自分のものにしたい。

生き物は自分のものにしたくない。

この違いは「対象が自発的に動くものかどうか」だろうか。

そう思うと植物や、家は?

やっぱりメンテナンスがめんどくさそうだから、自分のものにはしたくないな。

 

自分かどうか、かもしれない。

自分を大きくしたい気持ちが所有したい気持ちを生み出している?

 

ーーー

 

最近引越しました。

住み始めはカビがやばく、カビてると思うだけで住みたくなかったけど。

毎日アルコール消毒していたら、手の届く範囲はきれいになりました。

 

今のところ快適です。

 

私がシェアハウスを選ぶのは、いろんな理由があるけど、

やっぱり一番は所有スペースが少ない方がメンテナンスが楽だから。

だいたいのシェアハウスは共有部は業者が掃除してくれる。

風呂掃除とかトイレ掃除とか。

だから自分の部屋だけきれいにしていれば清潔感が保てるのだ。

 

最近毎日掃除してる。

毎日掃除すると、当たり前だけど、きれいになってうれしい。

 

今の家は、毎朝キジバトがきて鳴いてくれる。それで目が覚めることが時々ある。

彼らは私のものではない。

彼らは彼らの生活があり、ただ朝の一瞬だけ、人生を交差させてくれる。

 

これから音楽を聴いて少し踊る。

自分のSOULが重要。そしてそのOutput。

 

Outputして初めて、自分のお腹の底のものと繋がれるのかもしれない。

これはダンスも、インプロも、強烈に同じだった。